topimage

2018-02

ブログ概要。 - 2037.02.22 Sun

はじめまして!ここはマンマルXのブログです!

当サイトは国際問題などの政治ネタを中心に
歴史、宗教から陰謀論、ミリタリーまで話題は多岐にわたりますが、
真の目的は国民主権の民主主義国家である我が国において
政治に関心のないノンポリ層をなくそうというものです。(`・ω・´)
※ノンポリ(nonpolitical)=政治運動に興味のない人

私はいわゆる「ゆとり」と呼ばれる世代ですが、
同年代の若者の政治離れが著しく、施政者との溝は深まるばかりです。
将来、誰が私たちの暮らしを守っていくのでしょう?
このまま日本を放置するわけにはいきません。
この憂国の気持ちから「ゆとり世代の憂国ブログ」を始めます!

私は幸いにも義務教育期間に自虐史観から解放され、
歴史や政治への関心は人一倍強くなりました。
まずは「ゆとり教育」を推進した
日教組による自虐史観からの解放が第一です。

★ブログの見方(カテゴリ紹介)
まずは自己紹介替わりに自分史
次に政治思想を過去記事から順に見て基礎知識を習得、
その後、日本近代史を読破すれば自虐史観から離脱ですw

しかしゴールという訳ではありません。政治や歴史は現在進行形です。
国内国際全般というざっくりしたくくりと
極東アジア欧米中東アラブの地域別に時事問題を随時更新
また、もっとディープな内容(陰謀論)
国際全般からはユダヤ、国内からは菊タブーがあります。
戦史やミリタリー好きの人は戦争・兵器カテゴリもオススメです。

最新世界地図2016

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日本古代史⑦~藤原氏の台頭~ - 2018.02.17 Sat

●平安時代中期



藤原氏中臣鎌足を祖とし、次男の藤原不比等の4人の子供から
南家、北家、式家、京家に別れ互いに朝廷で権力争いが行われてきましたが、
最終的に最も繁栄したのは
奈良時代、平安初期に栄えた南家や式家ではなく、藤原北家でした。

式家没落と同時に北家は頭角を現します。
きっかけとなったのが承和の変です。
嵯峨天皇の譲位後、異母弟の淳和天皇が即位します。
次に即位したのは嵯峨上皇の皇子仁明天皇
そして皇太子には淳和上皇の皇子恒貞親王が立てられます。
このように平城天皇以降は皇位が父から子の直系ではなく、兄弟間で継承され、
薬子の変以降は嵯峨上皇と淳和上皇二人の兄弟の系譜を交互に継承する形となります。
背景には桓武天皇の遺志があります。
桓武天皇は奈良時代に聖武天皇の血統に拘り、皇統断絶の危機を招いた天武系の反省から
・天皇即位後、すぐに皇太子を指名すること
・皇太子の指名にあっては、桓武の血が断絶しないよう兄弟で協力すること

という慣習を取り入れました。
当初はこれで安定しており、紛争も起こりませんでした。

ところが藤原北家の藤原良房の妹順子が仁明天皇の中宮となり、
その間に道康親王が生まれると
良房は道康を皇太子にするべく恒貞を排除しようとします。
こうした動きは元々想定されたもので、
これを危惧した恒貞親王や父の淳和上皇は度々皇太子辞退を願い出ていましたが、
その都度、嵯峨上皇に慰留されていました。
桓武天皇や嵯峨上皇は天皇親政の元、圧倒的な支配力を持っており、
権力闘争の動きは抑制され、貴族の国政参加に歯止めがかかっていました。
しかし、淳和上皇が死去し、嵯峨上皇が死を目前に控えると自体が動き出します。
嵯峨系で藤原北家の血を継ぐ道康親王は朝廷内でも優位な立場に有り、
淳和系の恒貞親王を天皇にしたい側近の伴健岑橘逸勢がクーデターを企てます。
藤原良房はこれを事前に阻止して伴健岑と橘逸勢を流罪にします。(承和の変)
恒貞親王自身に罪はないものの皇太子を排され、
藤原良房の思い通りに道康親王が皇太子となり、
後に文徳天皇として即位、藤原良房は太政大臣に上り詰めます。
承和の変は藤原北家の他氏排斥事件だっただけでなく、
嵯峨、淳和による兄弟王朝の迭立を解消し、
嵯峨-仁明-文徳直系王統の復活を意味しました。

文徳天皇が即位して4日後に惟仁親王が誕生。
3人の兄を退けて生後8か月で皇太子となり、
文徳天皇の崩御に伴い、清和天皇としてわずか9歳で即位します。
病床の文徳天皇は皇太子が幼少であるため、
中継ぎを立てる事を希望しましたが叶いませんでした。
奈良時代であれば女帝でも入れそうなところですが…
そもそも文徳天皇が亡くなったのは32歳という若さで、
しかも突然発病してわずか4日後のことです。
これは良房による毒殺であったという説があります。
甥っ子をダシにして最終的に殺すなんで考えたくありませんが・・・
良房は清和天皇が幼少であることをいい事に摂政として政治の実権を握ることに成功します。
摂政とは天皇が未成人の場合、天皇の代わりに政治を行う役職のことで、
これまでも女帝の期間に聖徳太子など男性皇族が行ったことはありますが、
藤原良房は皇族以外による最初の摂政でした。
続く陽成天皇9歳で即位し、良房の養子である藤原基経が摂政を行います。
藤原北家はさらに持続的な影響力を保持するために
天皇が成人後は関白として補佐を行うようになり、
光孝天皇の時に藤原基経が初めて関白になります。

以降、藤原北家は天皇と外戚関係を築きながら摂政・関白を行いますが、
その摂政政治も断絶された期間があります。
宇多天皇の母は藤原氏ではないため、藤原氏の政治参画を嫌いました。
宇多天皇と藤原氏の確執は阿衡事件(阿衡の紛議)があります。
即位間もない宇多天皇は藤原基経に再び関白としての役割を果たすよう勅書を送りますが、
「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」の文言の解釈から論争になります。
阿衡とは位のみで職掌を伴わない空名であり、基経に政治から手をひかせる意味と捉えた
藤原基経が立腹し、すべての職務を放棄します。
結局、宇多天皇が折れて勅書を取り消し、勅書を作成した橘広相を罷免しました。
天皇が事実上藤原家の傀儡であったことを物語るエピソードですが、
宇多天皇は藤原基経が死去すると新たに関白を立てずに天皇親政を行い、
学者の家柄であった菅原道真など藤原氏とは無関係の人物を要職に招きます。



菅原道真といえば現在でも学問の神様として知られますが、
遣唐大使として894年に200年以上続いた遣唐使を停止した事が重要です。
日本の律令国家建設のためのモデルとなっていた唐でしたが、
黄巣の乱以降、唐では内乱が頻発し、衰退が始まっていました。
日本の文化レベルもこの頃にはかなり成熟し、遣唐使を送る意義を失いつつありました。
13年後の907年に道真の読み通り唐が滅亡したため、
遣唐使が再び送られることはなく以降、明の時代まで
中国の王朝と日本の間に国家レベルの正式の通交はありませんでした。
こうして一層日本独自の国風文化が盛り上がることになります。

道真は宇多上皇の進言もあり、
藤原氏を母に持つ醍醐天皇の下でも昇進を続け、
藤原時平の左大臣に並ぶ右大臣となります。
しかし、道真の主張する中央集権的な財政に、朝廷への権力集中を嫌う藤原氏が反発を強め、
藤原時平に醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀ったと訴えられ、
罪を着せられた道真は901年、大宰権帥として大宰府に左遷され、
子供4人も流刑に処されます。(昌泰の変)

903年大宰府で謹慎中の道真が死去すると、
まず909年に道真を京から追放した藤原時平が39歳で病死、
930年に朝議中の清涼殿が落雷を受け、
昌泰の変の首謀者が病気や事故により相次いで死亡。
これを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御。
一連の出来事は道真の祟りであると恐れられ、
右大臣に戻し昇進させ、道真の子の流罪を解き、
また落雷により雷神と結びつけられたため
火雷神が祀られていた京都の北野に北野天満宮を建立して祟りを鎮めようとしました。
以降、大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられ、
天神信仰が全国に広まることになります。



朱雀天皇8歳で即位したため時平の弟であった藤原忠平による摂政が復活しますが、
村上天皇の代で忠平が死去すると新たに関白を立てず再び天皇親政が行われます。
しかし、宇多天皇のような独自性はなく、
実態は藤原実頼・師輔兄弟の傀儡であり、
母の穏子や兄の朱雀上皇も後見を理由に政治に関与しようとしたため、
親政は名目にすぎませんでした。

村上天皇の死後、藤原実頼・師輔の兄弟の働きがけにより
第二皇子でありながら18歳で冷泉天皇が即位。
皇太子の時代から精神に病があり、奇行が目立つことから藤原実頼が関白につきました。
そして子供もいなかったことから
同母弟である為平親王と、守平親王の間で
冷泉天皇の皇太子(皇太弟)をめぐって安和の変が起こります。
順当に行けば年長である為平親王が選ばれるところですが、実際には守平親王が選ばれました。
これは為平親王の妃の父が左大臣の源高明であるため、
影響力を排除しようとした藤原氏の企みでした。
そして為平親王を担ぐ謀反に加担していたとされ、
源高明は道真同様に太宰員外権帥に左遷され、
以降は藤原家による摂政が常置されることになります。

薬子の変から始まった藤原北家による他氏排斥運動はこれで一応の完結を迎えますが、
今度は藤原家同士の摂政を巡る内部争いが行われ目まぐるしく摂政が変わります。
まず、円融天皇が即位すると引き続き藤原実頼が摂政を行いますが、
70歳を超える高齢で、安和の変の翌年に亡くなり、
実頼の弟、師輔の子、藤原伊尹が後を引き継いで円融天皇の摂政となりました。
しかし、藤原伊尹も摂政になった2年後に亡くなってしまいます。
その後、後継をめぐって二人の弟、兼家と兼通の兄弟争いが勃発します。

兼家は兼通の弟でしたが、
冷泉天皇時代に異常な出世を遂げ、兄よりも上位の位についていました。
これに対し、形勢不利の兼通は姉であり円融天皇の母である藤原安子の遺書を持ち出します。
これには「摂政は兄弟順に」との遺言があり、形勢逆転、兼通が摂政となります。
兼通が病に倒れ重篤な状態になると
兼家は次期関白の座を懇願するため内裏に向かいますが、
その道中、兼通の屋敷を通るため見舞いに来たと勘違いした兼通が
素通りした兼家に激高し、病を押して兼家より先に参内して最後の除目を行い、
従兄弟の左大臣藤原頼忠を後任の関白とし、
兼家の右近衛大将の職を奪い、治部卿に落とします。
こうして兼家は長く不遇な時代を送ることになりますが、
花山天皇の代になると、自分の娘・詮子を嫁がせ、
その子である懐仁親王が皇太子になることが決まると、
謀略をもって花山天皇を退位させ、一条天皇としてを即位させます。
こうして兼通ではなく、兼家の家系が摂関を独占することになりました。



藤原道長兼家の五男であり
道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だったものの
兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。
道隆の嫡男伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握。
4人の娘一条天皇、三条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇の妃にし、
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
と歌った様にその権勢を欲しいままにしました。
現在の京都御所の位置に藤原道長邸である土御門殿がありました。

こうした中央での藤原北家の政権掌握の影で
東国では平将門、瀬戸内海では藤原純友がそれぞれ反乱を起こし、
武士台頭の予兆も感じさせたのでした。

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平安時代においても朝廷の内乱はありましたが、
貴族にとっては死刑を伴わない比較的平和な時代だったと言えるでしょう。
桓武天皇の政策はたしかに皇位継承に余裕を生みましたが、
正統後継者の乱立を生み、貴族の権力抗争に利用されました。
こうした皇室の制度や慣例の隙をついて政権を掌握したのが藤原北家でした。
その過程で、日本は律令国家から王朝国家へと変化し、
朝廷では華やかな貴族文化が生まれます。

平安時代初期は唐風色の強い文化でしたが、
特に菅原道真の遣唐使廃止以降は
日本独自の国風文化が、浄土信仰の広がりとともに全国に広まりました。
国風文化の顕著な例が平仮名や片仮名という仮名の発明です。
それまで日本では漢字を文字を使ってきましたが、
日本語の発音を表記する際に漢字のを借りるだけで、
意味を持たないため単なる漢字の羅列となり、非常に読みにくいという欠点がありました。
そこで漢字を簡略化して音節文字を作ったのです。
以降も公式文章などには漢字(真名)が使われましたが、
日常生活では仮名が中心に使われ、特に和歌の際は仮名だけで書くようになります。
現代の標準的な漢字かな交じり文はこの頃から始まります。

この頃、紫式部清少納言などの女流作家の活躍し、
仮名を用いて世界最古の小説「源氏物語」「枕草子」という優れた文学が残されました。
平安時代は日本の歴史上最も女性的な感性が大切にされ、
宮廷に仕える女性の教育に熱心な時代でもありました。
フェミニストは何かと男尊女卑の国として日本をバッシングしますが、
西洋では女性の拷問器具が発達したり、中国では纏足という風習がある一方で、
日本では最高神である天照大神は女性で、女王卑弥呼も存在し、
世界初の女帝も日本の推古天皇です。
諸外国に比べて女性優位の社会だったとも言えるのではないでしょうか?

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偽りの友情と真の友情。 - 2018.02.10 Sat

ついに韓国で平昌オリンピックが開幕。
昨年から不穏な空気が流れていた朝鮮半島でしたが、
昨日の開会式では
北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長
金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正氏が参加し、
文在寅大統領夫妻と強く握手、
選手団も朝鮮半島をあしらった統一旗を掲げ、
南北合同入場を行い南北融和を世界にアピールしました。



オリンピックは平和の祭典なのだからいいじゃないかと思うかもしれませんが、
核・ミサイル問題拉致問題南北統一問題
何一つ解決に結びついていません。
北朝鮮の時間稼ぎに使われるだけなのは目に見えています。
これまでも金大中、盧武鉉政権で融和的な太陽政策が行われましたが、
その裏で北朝鮮は核・ミサイル開発を推し進めていました。
韓国はパラリンピックが終わるまで待つように要請したようですが、
アメリカはオリンピックが終わればすぐさま米韓合同軍事演習を行うと決めています。

純粋な人は南北融和に水を差すアメリカはなんて酷い奴だと思うかもしれませんが、
韓国でオリンピックが行われている最中に
北朝鮮では核搭載のICBM、
つまりアメリカ本土を射程に収めるミサイルの完成を目指しているのです。
一方の韓国は当時国であるにも関わらず、
朝鮮半島の非核化に対して積極的にコミットメントする気がなく、
オリンピックの成功ばかりに注力しています。
自国が戦火にさらされる事を避けたいのは分かりますが、
これでは北朝鮮の思うツボです。

主要国の首脳が相次いで、緊迫する朝鮮半島情勢を見て不参加を決める中、
安部総理はギリギリまで開会式参加の決断を遅らせ、
親北に動く韓国の動きを注目していましたが、
アメリカ政府の意向もあって、
韓国に釘を刺すためにペンス副大統領とともに参加を決定しました。
開会式に先立ち安部総理は文在寅大統領と首脳会談を行いましたが、
安部総理の硬い表情を見てわかるように平行線に終わりました。



実は大型の統一旗には描かれていませんが、
姑息にも小型の統一旗には何倍にも拡大強調された竹島が描かれ、
会場で使用するつもりでした。
実際に4日に行われた
南北合同チームとスウェーデンとのアイスホッケー女子の練習試合で使用され
日本政府が抗議していました。
韓国はIOCの勧告を受け、公式の場所では使用しないとしましたが、
開会式でまんまと北朝鮮の応援団に使用される始末です。
平昌オリンピック公式サイトでは日本列島の消えた世界地図を使用するなど
日本の首相を呼んでおいてこの有様ですから呆れます。



オリンピックを政治利用している点では北朝鮮も韓国も大差がなく、
南北融和もオリンピックという装置を使ってでしか友好ムードを作れないのですから
こんなものは見せかけで、すぐ瓦解するに決まっています。

朝鮮半島でオリンピックが開かれる一方で、
2月6日台湾東部の花蓮でマグニチュード6.4の地震が発生し、
日本は専門家チームを現地に派遣し、救助活動を行っています。



安部総理は8日、見舞い文を窓口機関を通じ台湾に伝達しました。
首相官邸がサイトで公表した文面には、
あて先が「蔡英文総統閣下」肩書・敬称付きで表記されました。
これは1972年の断交以来の事です。
蔡総統は8日、ツイッターに日本語で謝辞を投稿し、
花蓮の避難所を視察した際に「安倍首相に感謝する」と表明。
首相は9日、さらにこの投稿にリツイートし、日台の緊密ぶりをアピールしています。



台湾独立派の蔡総統が中国からの救援隊派遣の申し出を
海外の援助は必要ないと「謝絶」する一方で
日本からは高性能な生命探知機があるとして
専門家チームを受け入れ、首脳間で緊密なやりとりをしたため
中国が猛反発し、非常事態でありながら
蔡政権の頭越しに被災地の花蓮県長と連絡を取り台湾世論の分断を図っています。

中国の反発を受け日本は「蔡英文総統閣下」というあて先を削除はしましたが、
日本政府も一つの中国原則を維持しながらも
ついに日台友好を隠さなくなってきました。
この背景には東日本大震災の際の台湾からの多大な援助があります。

当時、台湾から200億を越える義援金が送られましたが、
これはアメリカを抜き世界一の義援額でした。
また人口比からすると一人あたり1600円程の寄付があったことになります。
他国に対してこれほどの義援金が集まることはかつて例がありません。
しかしながら当時の民主党政権は中国の顔色を伺い、謝意広告から台湾を排除
追悼式でも台湾代表台北駐日経済文化代表処の羅副代表の献花に際して、
国名を読み上げる指名献花から外し、「民間機関代表」として一般席に案内し、
一般参加者として献花させるなどの非礼を働きました。
そもそも一番最初に日本に到着したのも台湾の支援隊でしたが、
わざわざ足止めさせて中韓を先に乗り込ませました。
そんな政府を頭越しに民間では
台湾の援助に対していくつもの謝意広告が出されました。



国家間の友情は往々にして儚いものですが、
政治的な一過性のイベントではなく、
国民同士の継続的な交流こそが本当の友情を生みます。
北朝鮮と韓国中国と台湾にそれはあるのでしょうか?
何かと同じ民族であることを強調し、
北朝鮮、韓国は半島統一、中国は台湾併合の野望を抱きますが、
何かあればすぐ反日でまとまるだけで、
武力的方法でしか活路が見いだせないでいます。
日本では2020年東京オリンピック
「チャイニーズタイペイ」ではなく
「台湾」と表記することを求める著名運動が盛り上がっています。
運命のいたずらで離れ離れになり、様々な柵を抱えながら、
お互いを親しみ合い、思い合う日本と台湾の関係
中韓も見習ったほうがいいのではないでしょうか。

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今年の漢字。 - 2017.12.30 Sat

今年も残すところあと2日になりました。
今年の漢字に「北」が選ばれたように
日本にとっては北朝鮮一色の国際情勢でした。



2011年の12月に金正日総書記が死去し、金正恩政権が発足。
そこから毎年のようにテポドンなどのミサイル発射や核実験を行ってきましたが、
2012年に発足した第二次安倍政権にとって
中韓との外交軋轢から脱却する意図もあり、
飯島参与の電撃訪朝など官邸側の積極的な働きがあり、
2014年5月のストックホルム合意に至り、
拉致被害者の再調査が約束され、
日本も一部制裁を解除するなど日朝関係は改善の兆しにありました。

しかし、2016年1月に北朝鮮が4度目となる核実験を行い、
それから立て続けにミサイル発射を連発、
日本が2月に独自制裁を発表すると
北朝鮮は拉致被害者再調査の中止、特別調査委員会の解体を発表し、
ストックホルム合意を一方的に破棄しました。
北朝鮮は日本側が破棄して制裁を開始したとしていますが、
「夏の終わりから秋の初め」と言われた再調査の第一回報告は
2014年9月に「調査は初期段階で、調査全体で1年程度を目標としている」と先送りを通知し、
委員会発足から一年が立つ2015年7月にも報告の先送りを要請するなど、
当初から合意を守る誠意が全く感じられませんでした。
イスラエルとパレスチナの間で結ばれたオスロ合意と言い
北欧中立国が絡む合意は上手くいってない気がします・・・。

もちろん合意が無意味だったわけではなく、
靖国神社問題や慰安婦問題の日本の譲歩という
一方的な条件を突きつけて首脳会談を拒否する中韓に対して
2014年11月にはAPECの開催に合わせて習近平国家主席と
2015年11月には朴槿恵大統領と
条件なしで首脳会談を実現させるテコになりました。
韓国に至っては12月に最終かつ不可逆的に解決する慰安婦合意まで進みました。

北朝鮮は国際社会の非難にも関わらず、2016年9月にも5度目の核実験を強行し、
今年に入ってからは3月にマレーシアで
金正恩の異母兄である金正男VXガスを用いて暗殺。
友好国であった東南アジアも巻き込んで金正恩体制強化に躍起になりました。
また6月には2016年の1月に国家転覆陰謀罪の疑いで北朝鮮当局に拘束されていた
バージニア大学の学生オットー・ワームビア氏が労働教化中に拷問を受けたとみられ、
昏睡状態に陥り、治療のためアメリカに帰国後死去。
このようにおよそ人道国家とは思えない事件が続き、
8月には日本列島上空を通過するミサイル実験、9月には6度目の核実験を強行。
アメリカは11月に北朝鮮を9年ぶりとなるテロ支援国家再指定追加制裁を決めました。



国連は日米の訴えもあり、北朝鮮の友好国である中国やロシアも巻き込んで経済制裁を行い
アメリカ軍は日本と韓国、それぞれと軍事訓練を行い圧力を強化していますが、
それでもなお北朝鮮は妥協する意思を見せません。
38度線で対峙する韓国では朴槿恵大統領が弾劾、逮捕され、
親北派文在寅大統領が誕生したことで
日米韓の連携が乱れ、北朝鮮を増長させる結果に繋がっています。
金正恩は先代の金正日と違い
これまで一度も外国訪問をせず、中露も含めて外国首脳の誰とも会っていません。
明らかに自ら外国との交流を絶つような孤立化へ進んでいます。



北朝鮮はこの一年を通して
今年1月に就任したアメリカの暴言王トランプ大統領と舌戦を繰り返しました。
核・ミサイル実験と経済制裁・軍事演習の応酬が続き、
米朝の緊張関係はますますヒートアップ・・・
一節にはクリスマス休暇にカモフラージュして
在韓米軍の家族がアメリカに秘密裏に帰国(脱出)したとも噂されていますし、
相次ぐ38度線の北朝鮮軍人の脱北や、
日本海沿いの日本列島に漂着する不審船など、雲行きは怪しくなる一方です。
今年北朝鮮は干ばつで農作物が不作と言われており、
「北」は今年ではなく、その影響が表面化する来年こそ本当の正念場と言えそうです。

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トランプのエルサレム首都認定②。 - 2017.12.08 Fri



トランプ以前からアメリカのイスラエル支持は伝統的なものでした。
そもそもアメリカなくしてイスラエル建国はなかったわけで、
アメリカもユダヤ資本、ユダヤ人の協力がなければ
核兵器も持てず、二つの世界戦争を勝ち残り
今の超大国の地位を築けなかったでしょう。

中東戦争において数的不利なイスラエルをアメリカは一貫して支持し、
アラブ諸国はソ連の援助を受けるなど、当初は米ソの代理戦争(冷戦)の側面がありましたが、
アラブの盟主であったエジプトの単独講和や
シーア派のイランのイスラム革命によってアラブの連携は乱れます。
また、イラン・イラク戦争湾岸戦争など
アメリカの積極的な中東紛争の介入により、
中東地域にイスラエル優位の状況が作り出され、
イスラエルは依然東エルサレムを実効支配しており、
分割案の時点でアラブ人領土とされている地域にも侵攻、
シリア領であるゴラン高原も実効支配します。
こうしてイスラエルはその人口に対して過剰と言えるほどの領土を手にしており、
国連はイスラエルに軍の撤退を求めています。

イラクは実際には大量破壊兵器を保持していなかったにも関わらず
疑いがあるというだけでブッシュ政権に国土が徹底的に叩かれ、
シリアやイランの核開発疑惑にも引き続き、国際社会の強力な反発がある一方で、
イスラエルは中東地域で唯一の核拡散防止条約(NPT)非加盟国であり、
1979年には既に核兵器(ヴェラ事件)を保有していたとみられ、
国際的には核保有国とされているにも関わらず表立った批判がされません。
イスラム国家には絶対に核を持たせない。そもそもがフェアじゃありません。

冷戦の終結によって国家間戦争は影を潜め、
レバノン戦争以降はPLO(パレスチナ解放機構)によるゲリラ戦に移行しました。
1993年にはノルウェーが交渉を仲介し、
最終的にアメリカ、クリントン大統領の仲介により
イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で
ワシントン、ホワイトハウスで調印されたオスロ合意に至り、
イスラエルとパレスチナ自治区が相互承認
イスラエルはアラブ人地区からの撤退に同意し、
パレスチナ問題は一旦は解決の道筋が立てられました。

Bill_Clinton,_Yitzhak_Rabin,_Yasser_Arafat_at_the_White_House_1993-09-13

しかし、ラビン首相が極右のユダヤ人に暗殺され、
これが引き金となりパレスチナ自治区でもテロが頻発、
イスラエル国内は右傾化し、明文化されたイスラエル軍の撤退は白紙にされます。
またガザ地区では強硬派のハマースが政権を握ったことで
パレスチナ自治政府も二分化されます。
穏健派のアラファト議長は求心力を失いイスラエル軍に軟禁されます。
イスラエルはハマースをテロリストとしており、
レバノン侵攻ガザ空爆を行い
イスラエルとパレスチナの対立は決定的となりました。
アラファト議長は2004年に失意のうちに死去。これにも暗殺のうわさが絶えません
握手を交わした両陣営の二人はこの世を去り、現在オスロ合意は崩壊状態です。

第二次大戦後の主要な紛争はイデオロギー対立であり
冷戦終結をもってその多くが終息したのに対して
中東紛争は宗教・民族対立であり、むしろ冷戦終結後に表面化しました。

アメリカは2001年の9.11以降、アフガン紛争イラク戦争テロとの戦いと称して
中東に軸足を伸ばしましたが、テロ根絶に手こずりオバマ政権になりイラク撤退を決めます。
アサド政権が毒ガスを使用したとして
シリア内戦の介入を決めたものの国際社会の反発を受け撤回。
2008年のリーマンショック以降、アメリカの求心力は低下の一途を辿っていました。
2010年、中東でアメリカの影響力が低下するとアラブの春が起こります。
これはアメリカ、イスラエルにとっては警戒すべき現象でした。
エジプトで親米政権が倒され、かつての反米、反イスラエル政権樹立が予期され、
この民主化運動自体が、イラン・イスラム革命の延長になる可能性さえありました。



その直後、米軍撤退という力の空白を埋めるように
イラク、シリアに突如として現れたISIL(イスラム国)
アメリカやイスラエルにとっては利用価値のある存在でした。
もともとイラクやシリアはスンナ派で世俗派が多いエジプトやトルコと違い
厳格なシーア派イスラム国家で反イスラエルの急先鋒でした。
こうした勢力を今までどおり正面から叩くのではなく、内側から破壊するISILの存在は
アメリカ、イスラエルに利するものでした。
アメリカはISIL討伐と称してイラクやシリアの空爆を行いますが、
実際にはISILではなく政府軍を攻撃し、反乱軍やISILを支援していると言われています。
しかしながらアサド政権を支持するロシア
空爆に参加した事でISILの勢力は徐々に弱まりつつありました。
ようやく中東が落ち着いてきたという段階で今回のトランプの決断です。

アメリカはシェール革命のために石油利権の関心を弱め、
中東紛争からは手を引いてモンロー主義になると予想していましたが、
トランプはエネルギーに余裕が出来た事を更に利用して
新たな中東紛争を招来することで、石油価格の高騰を引き起こし、
アメリカの兵器やシェールガスを世界中に売りやすくする魂胆かもしれません。
しかし、それには対価も必要です。
そもそも9.11のテロの動機はウサマ・ビンラディンの故郷であり、
イスラム教最重要聖地のメッカのある
サウジアラビアに米軍が駐留したことが一つの要因と言われています。
今回、第三の聖地エルサレムをイスラエルの首都に認定し、
大使館が移転されればどうなるのか・・・一目瞭然です。

こうなると最大の関心は我が国のエネルギー事情です。
現在3.11以降反原発の状況に有り、
追加的に原発を開発し稼働させることが難しくなっています。
その上、化石燃料のほとんどは中東の石油に頼っている状況です。
海洋進出を目論む中国に対してインド洋から太平洋にかけてのシーレーンを守る
インド太平洋戦略に参加するアメリカは歓迎ですが、
その大元である産油国が集まる中東で何やら怪しい動きをするトランプは
日本にとっては憂慮すべき問題なのです。

外国の首脳であるトランプを批判しても仕方がない。
アメリカはアメリカの利権のために動く、
トランプの思惑通りに高い金を払ってシェールガスを買うという手もありますが、
それでは本当のアメポチです。
最終的に買うとなっても
日本はアメリカ一辺倒ではなく、こういう時こそロシアとの極東経済協力など
多角的なエネルギー外交を進め、外交交渉のカードにするべきです。
主権国家としてこれは当たり前のことなのです。

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